ハトと歓声と美大生

美大生らしくない一般人の日常をつらつらと書く

2.美大入学までの怠惰と美大生

暇だ。暇である。恐ろしく暇すぎて自分の欠点が受験生の頃よりも明確に見えてきた。あの頃は目の前には英語や国語、絵しかなかった。でも合格してから目の前はスッと晴れて見晴らしが良くなった。それに自分と向き合う機会が増えたし、友達や大人と喋る機会も格段に増えた。だから、やっぱり、自分の情けなさがグサグサと刺さるほど分かってしまう。

 

うーん、暇はいいけど暇すぎるのもダメかもしれない。怠惰な生活は素晴らしいが精神的に素晴らしくない。僕は素晴らしく堕落的で面倒くさがりなので何もないと本当に何もしないのだ。本当に何もしていない。一応図書館にいってデザインの理論の本は借りたし、哲学の本も借りたけどあんま読んでないし、キムチばっか食ってる。キムチ、おいしい。

ほらもう偏差値が0に近い。話は飛躍するしキムチばっか食う僕はアホになってしまった。いやもともとアホだったのだが、際立ってアホになってしまった。

アホを治したい。このブログや自主制作、人との関わりのなかで僕は自分の中に改革を巻き起こしたい。

 

はあ。そういえば、友達が最近急に大人っぽくなった。服装もそうだけど、思考も行動も。まあちょっと女々しい部分もあるんだけど、間違いなく賢くなってしまった。偏差値的なことではなく、人間的に賢いやつなのだ。小学生の時は猿よりも、というか猿と比べるのもおこがましい程のアホだったのに。悔しい。正直大化けしすぎてたまに動揺する。

例えばそう、友人数人で飯を食いに行った会計の時、自ら幹事的な動きをして金の分配や割り勘をスムーズにするし、話を聞く時の相槌もうまいし(決して大げさに驚くのではなく、相手の話に鋭く切り込むことをしたり、少し反論をしたり、同調をするタイミングなどが上手い)、人付き合いも上手い。身長も高い。悔しい。つまりそいつは僕の理想像に近いのだ。

 

ここまで駄文を垂れ流してきたが、今僕に必要なのは自分自身を冷静に評価したり、人との差を明確にする作業ではなく、もしかすると、他の人を観察することかもしれない。そういえば、その友人も人間観察が趣味と言ってもいい。そうだ、たぶん、そうなんだ。かなりマイナスな思考をずっとして来たけど、そういえば人との差を体感しそれを反省するだけで、他人がなぜ自分より優れているのか、そこをなんとなくしか認識していなかったのかもしれない。

 

どんな振る舞いをしているのか、どんな喋り方で、どんな話の展開をするのか、どうやって友達の輪を広げていくのか、どんなギャグを言うのか。もっと細かい部分まで観察することを怠っていたのかもしれない。友人に限らず親は?親戚は?クラスメイトは?人の特徴、癖、すごいところ。そういう部分をもっとみよう。そのためにはこのまま怠惰でいるわけにはいかない。もっと人と出会って、もっと観察しよう。

 

せっかくの暇だ。やってみようじゃないか。